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思考停止せよ!…デザインのために [GTD,LifeHack]

息を吸うには、まずは吐くのだ。でないと次の呼気は入ってこない。何かを得たいと思ったら、その前に何かを捨てる…は常套手段。情報も、アイデアも、モノも、考えも…得る前に捨てる。それが第一ステップ。

だから、忙しい最中、散らかっている時ほど片付けが必要なのだ。机の上も、PCのデスクトップも。思考する…という脳の中の活動も、ある時間に限って捨てるにこしたことがない。この場合は触れらるようなモノではないので、捨てるとうよりは、休止。

ところが、この思考の休止が難しい。思考の休止を「ぼーっと」で表現するなら、「ぼーっとする」にも2種類あるのだ。忙しさをなんとか切り抜け、電池切れ直前、オーバーヒート状態での「ぼーっと」と、リラックスした身体の状態で脳の回路が「思考」でなく「感覚」にスイッチングできてる時の「ぼーっと」だ。ランナーズハイ、座禅は後者のお仲間。

もっと手軽に…をお望みであれば、答えは散歩中だ。極力荷物は持たずに身軽に出かける…が、ルール。ぼーっとなれるかどうかのキーワードは「皮膚感覚」。歩きながら全身の皮膚で感じることに意識を向ける。大気の温度、湿度から、音、匂い、光など、環境からの刺激を受けたままに感じながら歩く。すると…通い慣れた道でさえ、新たな発見がある。探して、考えていく中での「気づき」より、探さず、考えずとも、ふわっと感じられる「気づき」…これが、次のデザインの種の発芽なのだから。

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カリフォルニアのリンゴの木は、世界の水で実を赤くする [ウォッチング]

ケータイキャリアのビジネスは「鉄道会社型」なのだ。
鉄道ビジネスは、線路を敷設し、駅を作り、電車を走らせ、駅ビル隣接デパートや駅ナカを準備し、利用を喚起する。
ケータイビジネスは、ケーブルを敷設し、基地局を作り、情報を走らせ、コンテンツを準備し、利用を喚起する。

並べて書くとかなり似ている。とはいえ、ケータイの方が後発だから進んでいるようにも感じるが、実は歴史ある日本の鉄道会社の方に軍配が上がる。なぜなら、私鉄とJR等の異なる路線の相互乗り入れは当たり前だし、SuicaとPASMOも相互利用可能。駅や列車の中だけに人がいる訳ではないことを知っているから、周辺の土地開発やレジャー施設の準備にも余念がないのは、大昔から戦略的に行ってきたことだ。それに比べると"ケータイ列車"は閉じた路線の中を進んでいる。

「水は高い所から低い所に流れる」…情報もしかりだろう。本当に「雨降って地固まる」…という土地も世界にはあるのかもしれないが、通常は大地に染み入るか、それを超えると溜まり、オーバーフローすれば低きを目指して流れていくのだ。流れは小川、支流、大河へと続き、海へと続く。その後は蒸発して雲を呼び、恵の雨となってリンゴの木を潤し、赤く熟した美味しい実をつける。

iPod、iPhoneに続き、iPadは、線路でも道路でもないネットワークが運んで来たサイズ違いの器だ。このサイズ違いは、食卓で使われる食器同様に、盛れる料理の種類に関係してきてしまうのだが、何よりも重要なのは、器の材料や製法でなく、ユーザーにとって「恵の雨」を受け止められる器だったということ。今の時代、「プラットフォーム」はその名の通り、線路に沿って作っているだけでは満足されないどころか利用されなくなる。全ての雨が流れ込むように低い位置に、使っている気がせずに使えるものでなくては「プラットフォーム」にならないだろう。リンゴ屋さんが、流れる水の質感を表現し「Aqua interface」と称したGUIが、急に別の意味で戦略的に思えてきた。おまけに、世界から集まって来た雨が蒸発した水蒸気は「雲(クラウド)」になり、さらなる情報の雨を器に注いでくれる。カリフォルニアのリンゴの木からは、当分の間、熟した実が収穫できるだろう。

iPad…お盆のようだが、とんでもない器である。

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「ロボットデザインのアイデア出し」経験で思ったこと [プロダクトデザイン]

ロボットデザイン』について偏見を持っていたのかもしれない…と気づいた。どんな偏見か…と言われると、うまく表現しずらいのだが、なんとなく、自分がデザインしなくていいモノ…と思っていたのだ。

そう感じたのは、先月、とあるプロジェクトで「家庭用ロボットのデザインアイデア出し」に参加した体験からだ。ロボットを頻繁にデザインする方からすれば、当たり前のことなのかもしれないが、「自ら動くこと」と「存在させている理由」のポジショニングと方向性に答えを出すことが、動かないプロダクトをデザインするのとは随分違った。ロボットのカテゴリーは、家庭用に絞ったとしてもレンジが広い。アイデア…をラフスケッチとともに求められた内容だったため、技術のウラ取りは必要なし。…とはいえ、生活空間(内外共に)に同居する様々なロボットの「在りよう」を「形」とするための「(提案としての)基準」と「共感度合い」に折り合いをつけるのは、難しくも有意義だった。生活の中でのロボットの在りようは、カテゴリーやテーマがどうあれ、人の生活全般、営み、ライフスタイル…を深く見た上で、関係性、役割分担、ベネフィットの質と量…のバランスが必須なのだ。成り立たせる各種の技術よりも、デザインオリエンテッドでアイデアや仮説としてのデザインを、丁寧に拾った活用シーンと共にもっとストックする必要がある…と実感。

それ以来…170cmくらいの塀に余裕で飛び乗るネコ、エスカレーターを駈け上がる5,6歳の子供、大きなバッグを抱えながら駅の人ごみをぶつからずに歩く人、ゴミの中から必要なものをだけを選別して持ち帰るカラス…など、日常の風景にあるシーンがまるで違うものに見えてきた。「生き物」は途方もないことをやっている…と。

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画像は以前に書いた「日本SGIでSegway PTに乗る」というエントリーからのもの。身体で乗りこなす必要も、楽しさも無く、気持ち+αの微妙な体重移動だけで行きたい方向に動いてくれるSegwayも、今では普通の技術になった。モノ作り側の視点だけでない、生活全般(経済、社会、法律等)さまざまな角度からロボットデザインを見ていく環境がいるのだろう。

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